Arch Enemy

Extra 1/ The Wolf Is Loose
/1 Forever Unbound

 

「ったく……。なんで俺がこんなことしなきゃならねえんだよ、めんどくせえ」
 イタリアにしては珍しい、ある蒸し暑い夏の夜のことだった。
 愚痴愚痴文句を言いながら、俺ことピルグリムは真夜中のローマ市街を歩いていた。
 手には重い麻袋。中身はブランデーの瓶が四本にワインが六本、発泡酒スプマンテが四本。勿論俺が飲むんじゃなく――飲んだところで味なんざわかりゃしねえし――全部キンバリーの分だ。ついでに、麻袋の中にはブロックアイスの入った小型のクーラーボックスも入っていた。
 総重量約十キロ。体の作りがそもそも人間とは違えからその重みは大した苦じゃねえが、この真夜中で人通りも疎らな道を一人歩いてるっていう事実に気が滅入ってくる。
 こんなことなら、車出すんだったか。

 事の始まりは単純だ。
 我が麗しのファッキンシスターことキンバリー・トゥルネンは、いつものように週末の晩酌――実際は毎日やってるし、そもそもそんな可愛いもんじゃ断じてねえのだが――を楽しんでいた。いたのだが。
「……グリム」
 低い、不機嫌なんだか上機嫌なんだかいまいちわかりづらい声でキンバリーが俺を呼んだ。
 テーブルの上には、殆ど空になった琥珀色の瓶とグラス。既に酔い始めているのか、頬には朱が差している。思わずグチャグチャにしてやりたくなる、艶っぽい表情だ。
 煙草で灰皿の縁を軽く叩きながら答える。
「あんだよ、キンバリー。言っとくけど、酒は付き合わねえからな。んな味もわからねえもん飲んだって面白くもなんともねえ。そもそも俺酔わねえし」
「それについては期待していないさ」
「んじゃなんだよ?」
 俺が訊ねてやると、
「――酒を買ってきてくれたまえ」
 と言って、ぽんと財布を投げて寄越しやがった。
「……なんの真似だ?」
 俺の手の中には分厚い革の財布が一つ。レシートやらユーロ紙幣やらが飛び出したり折れ曲がってたりする辺り、この女のずぼらな性格を見事に表してると思う。
 何しろ、男の俺が一緒に暮らしてるってのに、堂々と俺の目の前で着替えるわ、風呂上がりは全裸でぶらつくわ、下着は部屋中に撒き散らすわ、とにかくやりたい放題なのだ。今もボタンを一つだけ止めたワイシャツに黒いレースのショーツというエロさ全開な出で立ちだった。
 尤も、お互い体の隅々まで知り尽くした仲だ、今更そんなの気にする間柄でもない。
 困るときといえば、客が来たときくらいだ。
 俺たちは、キリスト教教皇庁直属の退魔組織――悪魔だの吸血鬼だのが人間に危害を及ぼしたら、そいつを殲滅する集団――である[外典教区アポクリファ]に所属している。一応は敬虔なクリスチャンってことになってるワケなんで、んな格好してるのを他人に見られるとまずいらしい。
 尤も、〈十字騎士クルセイダー〉であるところの俺たちは、俺は司祭、キンバリーは司教と同等の権限があるので、直接の上司――[外典教区アポクリファ]なんていう万魔殿パンデモニウムの長である教区長がその筆頭だ――以外からお叱りを受けることは滅多にねえのだが。
「なに、買い置きのワインが切れていたようでね。ウイスキー一瓶程度ではとても物足りない。丁度氷も切れてしまったことだし、そこでグリム、君に買ってきてもらおうかと思ったのだよ」
「……お前、俺のこと使い魔アガシオンか何かと勘違いしてねえか?」
「似たようなものだろう?」
 ここで全然違う、と言えねえのが痛いところだ。
 魔術的な契約だって結んでるし――一応普通の使い魔アガシオンよりはずっと上等だと自分では思ってるんだが――俺の命をキンバリーが握ってるってのは、なかなかにムカつく話だったりするが、立派な事実だ。いや、キンバリーだけなら全然構わねえんだが、教区長のクソババアまで握ってやがるってのが気に食わねえ。
 こいつらのが本物の悪魔より遥かに悪魔っぽいってのは一体どういうこった。
「それで、行くのかね? 行かないのかね? わたしとしてはなるべく早めに行って欲しいところなのだがね」
 グラスを傾けながらキンバリーは言う。
「しゃあねえな……。わーった、行ってきてやるよ」
 溜息を吐いて言う。
 ここで駄々こねて祓われたりしたらたまらねえ。キンバリーの財布をポケットにねじ込んで、俺は部屋の扉を開けた。
「――ああ、そうそう」思い出したようにキンバリーは言う。「新聞を読んで知っているかもしれないが、近頃は通り魔が出没するという話だ」
 その話は聞いたことがある。
 ここ一週間ちょいで五人の男の死体が見つかったって話だ。犯人は不明、未だ手掛かりはなし。被害者に共通点はなく、あるとすればローマ周辺に住んでたり働いてたりするってことくらいだ。無差別な通り魔殺人、ってのが警察の見立てらしい。
「君に限って心配はいらないだろうが、気を付けたまえ」
「殺さねえように、ってか?」
 一瞬きょとんとして、
「ああ、その通りだ。殺人鬼とはいえ一般人に手を出してはわたしも君を庇いきれないのでね」
 キンバリーは珍しく微笑して言った。
了解Si
 ひらひらと手を振りつつ、俺は荷物を入れる麻袋を片手に[外典教区アポクリファ]の宿舎を後にした。

 めんどくせえ、とぼやきながら歩いていると、ところどころから陽気な声が聞こえてくる。
 流石は土曜の夜、どいつもこいつも酒を飲んで楽しく酔っぱらってやがるらしい。思わず乱入して突撃銃アサルトライフルでも乱射してやりたくなってくる。こちとら暴君なシスターのパシリでローマ市中走り回ったのだ。それくらいのことしたって罰は当たらないだろう。
 尤も、罰が怖くて悪魔なんざやってられねえんだが。
 とっくの昔に一生分味わった苦痛を今更怖がって何になる。
 どうせ怖がるなら、この後キンバリーがどこまで乱れるかだ。……いや、そっちの方は半分以上期待混じりなんだが。それくらいの役得がなけりゃ、こんなことは絶対にやるはずがなかった。
「あんま待たせっとキンバリーのヤツ怒っからな……」
 話が麗しのファッキンシスターは非常に我が侭なんで困る。ドが付くほどのサドかと思えば、ドが付くほどのマゾだったり。まあ、そこがいいワケなんだが。
 あれだけ美味そうな――と言うより実際べらぼうに美味い――体をしてる女は、そうそういやしねえだろう。それを俺が自由に出来るっていうんだから、労働の対価としちゃ十分だ。
 扱いは難しいが、上物であることに違いはない。
 今夜はたっぷりと対価を要求させてもらおう。
 なんて、ああだこうだと今夜のプレイについて色々考えているときだった。
「――へえ」
 ぴり、と背筋に静電気が散るような感覚。
 その感覚に従って視線を動かしてやれば、道の向こうに、月を背に一つの人影が立っていた。
 黒い影。全身を真黒い装束に包んだヒトガタ。黒いパーカーのフードを目深にかぶり、黒いレザーパンツの裾は同じく黒いブーツの中にしまわれている。季節感ガン無視の、暑苦しいにもほどがある格好だった。
 それは、俺たち[外典教区アポクリファ]のそれのような――いや、俺やキンバリーの場合、ただ着てるってだけだが――信仰の象徴ってワケじゃない。自分の素性を隠す――あるいは、まるで闇に融け込もうとしてるみたいな、黒い服。
 こほぉ、とくぐもった呼吸の音。マスクでも着けてるのかと思ったがそんなことはなく、単に荒々しい呼吸を押し殺そうとしてるだけ。
 全身黒尽くめではあるが、たった一箇所だけ真逆の――白銀の色彩があった。
 手に持った、やけに大振りのごついナイフ。軍用ナイフだろうか。刃渡りは大体三十センチほど。サイズ的には、ナイフというよりも小振りな包丁といった感じに近い。
 そんな物騒なものを持った、呼吸の荒い黒尽くめの男。
 一目でわかった。
 ――こいつは、やべえ。
 勿論、それは見た目からして変態だとか真夏にその格好はねえだろ、とかそんなんじゃない。
 何がやべえって、完璧にイッちまってる。まるで真性のジャンキーかフリークス。以前キンバリーに連れられて見に行ったハリウッド映画でスラム街にこんな野郎が大量にいたっけか。
 だが、実際に見るのとじゃ大違いだった。
 いや、そもそもこいつはそんな生温いもんじゃないだろう。
 ひしひしと感じる殺気。明確な殺意が波濤のように押し寄せてくる。
 間違いない。コイツはかなりの上物、とびっきりの咎人だ。
 ――少しだけ、この影に興味が湧いた。
 俺とあの影の周囲には、人払い用の結界が張り巡らされてある。術式の精度自体は大したもんじゃねえが、随分と手慣れてることは間違いなかった。
 ちろり、と好奇心の火が顔を覗かせる。抑え付けようとしても、一度燻り始めた火種はそうそう簡単には消えてくれない。
 思わず唇の端を吊り上げながら麻袋を地面に置いてポケットに手を突っ込み――
「ふっ!」
 鋭く息を吐き出しながら、着ていた薄手のカソックを影に向かって投げ付けた。
 ナイフが翻る。魔力で強化されていたはずのカソックがただの布切れみたいに切り刻まれ、紙吹雪のように散る。視界一面を埋め尽くす黒い吹雪。風流な風景ではあるが、生憎そんなものを解する心は持ち合わせちゃいなかった。
 布切れの乱舞の中、影が一気に距離を詰めてくる。
 ――速い!
 予想以上だった。十数メートルあった間合いが殆ど一瞬で一足一刀へと縮まり、尚も影は懐へと飛び込んでくる。
 そうはさせない。そこまで踏み込まれては、俺は何も出来なくなってしまう。
 だから、その前に、さっきからうずうずしていた右腕を一閃、振り抜いた。
 ギィン――甲高くも重い金属音。影の手にしていたナイフと、俺の〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉とが打ち合っている。影が息を呑むのがわかった。
 その隙を縫ってナイフを弾き、返す刀、胸目掛けて漆黒の刃を振り下ろす。
 だが、影は寸前で身を捩ると、紙一重で斬撃を躱していた。そのまま滑るように後退る。
 ふわり、と鼻をくすぐる強い香り。柑橘系の香水だった。それも女物の、かなり強烈なやつ。まさかとは思うが、女なのか。だとしたら勿体ねえ。
 ――ここで殺さなきゃならねえなんてな。
十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉にさらに魔力を込めてやる。闇色の剣が一回り大きくなる。
 再び影は地面を蹴った。同時に魔力を噴出させたのか、さっき以上の速度だ。
 だが、見えている。敵が速いってことはもうわかってるんだから、こっちの意識のレベルを引き上げてやりゃあいい。それだけで、簡単に対処出来る。
 逆手に握り締めたナイフでの打ち下ろしを振り上げた〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉で受け止め、左の拳を振り下ろそうとして、
「チィ――!」
 舌打ちと共に、全力で後ろへと跳んだ。相手の足刀が空を切る。
 瞬間、香水とは別の匂いが鼻を突いた。
 先程とは違い、今度は俺が後退する番だった。靴が地面を滑る。影は追い討ちを仕掛けてくるなんてことはなく、じっとこちらを向いて立ち尽くしていた。
 ……成る程。あの香水はこの匂いを隠すためか。
 ツンと鼻を突くのは、獣の匂いだ。生理的な嫌悪を呼び起こす独特の臭い。香水でも使わなけりゃ、そりゃ隠せやしねえだろう。香水の使い方としちゃ間違っちゃいねえ。
「キッツイ体臭だな。ちゃんと風呂入ってっか? 臭え野郎は嫌われるぜ、犬ッコロ」
 黒尽くめの影に向かって言ってやる。
 すると、
「それ言われるとつらいんだけどにゃー」
 やけに若々しい、砕けた口調で影は言った。声が高い。やっぱり女らしかった。
 少し頭のネジがぶっ飛んでる以外は、そこら辺に普通にいそうな感じだ。いや、俺自身普通から思いっ切り外れてる上に、普通な知り合いなんてのはいねえワケだが。
 くすりと笑って、女のベルトに下げたホルスター状のケースにナイフをしまった。これ以上やり合う気はないのか、殺気はすっかり消え失せている。
 俺としてもそろそろ興が醒めてきたところだったんで丁度いい。〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉の刃を消して、ズボンのポケットに押し込む。カソックは切り刻まれてるんで諦める。
 ポケットから煙草とライターを取り出し、煙草に火を点けた。
「けどさ、そっちもどうなのよん。同類の癖に[外典教区アポクリファ]なんてさ」チェッ、という舌打ち。「にしても、あたしってばほんとツイてないよね。まだ六人目だってのに、いきなし大物じゃん。こーゆーのって釣りと違って大物ゲットで超ラッキー、ってワケにもいかないんだよにゃー。その辺、アンタはどう思う?」
「どうもこうもねえけどな」煙草をくわえたまま答える。「お前、噂の殺人鬼だろ? なら殺すだけじゃねえか」
「お。あたしってばもしかして有名人? 街で発見、噂のあの人、アポなし突撃インタビュー、ってヤツ?」
 ……前言撤回。こんなのがそこら辺に普通にいてたまるか。
 影はいても立ってもいられなくなったとでもばかりにフードを脱いで、素顔を晒した。
 ひゅう、と思わず口笛を吹いてやりたくなる。
 女は、なかなかの美人だった。血のように赤い緩いソバージュの髪、黄色がかった瞳。キンバリーと違ってやや日に焼けていて、肌は健康的な小麦色をしている。小さめの鼻と唇がバランス良く配置されていて、キンバリーとはまるで逆のタイプの美人だった。
 殺人鬼なんかしてるぐれえだから、顔面刺青とかやらかす程度にはぶっ飛んでるかと思ったんだが、流石にそこまではやってないらしい。ちっとばかし残念だ。
 尤も、予想外に美人なんで、それは嬉しい誤算だったりするワケだが。
 紫煙を吐き出しながら、じっくりと女の面を眺めてみる。
 それを白けての沈黙と受け取ったのか、女は困ったように手足をばたつかせて言う。
「おいおい、黙るなよぅ。会話は言葉のキャッチボールだって知ってるかにゃー?」
「一塁ランナー楽々ホームイン、って大暴投連発野郎が何言ってんだ」
「お、そりゃ素敵。振り逃げサヨナラ満塁ホームラン、そんでもってWBC優勝、とか最高のシチュエーションじゃない?」
「あー……そりゃ言えてるかも」
 人間の努力が一瞬で無に帰す瞬間ってのがなんとも言えねえ。
 未来永劫語り継がれる伝説の名勝負、これで幕切れ世界大会、さよなら世界一の夢。お前責任とって一人ロシアンルーレットな、みたいな感じで。
 勝った側もなんか素直に喜べそうにねえ辺りがいい。
 チャンピオンズリーグ決勝でハットトリック、ただし全弾オウンゴール、でも可。
「お、わかる? [外典教区アポクリファ]にも話わかる人いるんだ。あたし嬉しくなっちゃうよ。他人の不幸は世界第四珍味、ってあたしの主義主張受け入れてくれる人なかなかいないんだもん」
「そりゃいねえだろ、普通」
 そこらに転がってる石ころ拾ってダイヤだっつーのようなもんだ。
 まあ、[外典教区アポクリファ]にはこの女と馬が合いそうなヤツは腐るほどいるんだが。たとえばウチのファッキンシスターやら教区長やら。
「にしても、よく俺が[外典教区アポクリファ]の一員だってわかったな、お前」
「そりゃわかるってば。そんな物騒極まりない殺人上等神様糞食らえ仕様な十字架型危険物持ってるのなんて[外典教区アポクリファ]の連中くらいなもんだもん」
「あー……そーゆーことか」
 勿論〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉のことだ。どうやら以前[外典教区アポクリファ]の連中に痛い目に遭わされたことでもあるらしく、見事に的確な表現だった。
 この女の言う通り、〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉ってのは神様なんざ糞食らえ仕様な素敵武器なのである。
 そもそも[外典教区アポクリファ]っての自体が神様の救いを待つより先に、手っ取り早くてめえでてめえを救う、信仰って単語を踏み躙るような集団だ。クリスチャンでありながらクリスチャンに真っ向から対立する矛盾。
「てゆーか、アンタのそれすごくなかった? 何その外道系な色。聖剣なのに真っ黒ってのはどうよ。神様もびっくりの闇黒系じゃん。流石同類だにゃー」
 女の言う通り、〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉ってのは普通、使い手の魔力を白い光の刃として顕現させる武器だ。間違ってもこんな闇色の刃を出したりするもんじゃねえ。
「放っとけ。どうせ神様なんざ信じちゃいねえ癖に」
 そもそも、この女は俺が人間じゃねえってことを知ってるはずだ。
 同類ってのとは違うが、混じりモノや人外同士ってのは、なんとなく匂いでわかる。
「当ったり前じゃん。アンタは神様信じていいことあった? あ、ちなみにあたしの場合、なんと三人目くらいまでは神様信じてたよ。ちゃんと教会行って、神父様に真面目に懺悔してみたり。我ながら涙出ちゃいそうになるくらいのいい子じゃん?」
「ああ、てめえで懺悔するなんざ反吐が出るくれえのいい子ちゃんだな」
 相手に跪いて懺悔させるのは嫌いじゃねえが。
 仮にも司祭と同等の権限持ってんだから、懺悔くらいさせてやってもいい。勿論許してやりゃしねえんだが。
「けどよ、人殺してる時点でいい子じゃねえだろ。そんなんでいい子だったら、悪魔でも天国行けちまう」
 ……まあ。天国なんざこっちから願い下げなんだが。
 むしろ俺は地獄の方がいい。あの赤一色の死んだ世界を思い出すだけで心が落ち着く。この世で最も安心出来るのは母親の胎内だって話だが、俺にとってはあの地獄がそうなんだろう。
「そんでもってどうなったんだ、懺悔なんかしちまったいい子ちゃんの末路は?」
 この女がここにいるからにはジ・エンドってワケじゃねえんだろうが。
 そう思いつつ訊ねてみると、
「真夜中にいきなり銃突き付けられてホールドアップ」
 ありゃ流石に参ったにゃー、と女は大声で嗤った。
 つまり、人殺しちまいましたよとか懺悔された神父が即行で警察に通報したってことなんだろう。もうちょい広い心持てよ神の使徒。犬ッコロのじゃれ合いくらい笑って見逃せって話だ。
「笑えるくれえにくだらなくて傑作で最高に最悪な話だな。ほんっと――笑えやしねえ」
 だが、女は「きゃゃはははは」と手を叩いてさも愉快そうに笑っている。なまじ綺麗な顔をしてるもんだから、かなり酷い面だ。
 どう考えても笑い話じゃねえと思うんだが、そこら辺は感性の違いってヤツだろう。
 俺にとっちゃ七年前のキンバリーとの出会いは笑い話みてえなもんだが、他の連中はそうは思わねえに違いない。それと同じだ。
「ま、そこであたしも吹っ切れちゃったワケよ。流石に十一人殺したら、もう謝ったって神様も許しちゃくれないだろうにゃー、と」
「八人揃って返り討ちにしたワケな。つーか、神様以前に人間が許しちゃくれねえだろ。俺に言わせりゃむしろもっとやれってトコだけどよ」
「だいじょぶ、だいじょぶ。最初っから人間に許してもらおうとか思ってないもん。一応悪いことしてるって自覚はあるから。てワケで、一応神様にだけは許してもらおうとか思ったんだけど。流石に神様もあたしには恐れをなしたと見えるね」
 ……アホだ。ここに真性のアホがいる。
 やっぱドラッグのやりすぎでラリっちまってんじゃねえのか、この女。
 どっちかっていうとこの女の場合、あまりの性格と頭の悪さに地獄の門の前で門前払いだって方が正しそうだ。
「そ・れ・よ・り……どう?」
 そう言って、女はゆっくりとこっちに近付いてくる。両手を腰の後ろで合わせて、体を少し前に倒し、悪戯っぽく目を細めながら。
 かつかつかつ、と足音が段々と大きくなる。
 何がだ、と訊くほど俺だってガキじゃない。この女の言わんとしてることはすぐにわかった。
「これからあたしとホテルにでもしけ込まない? あたしのホテルこの辺なんだけど」
 んふ、と妖艶に微笑し、女は赤い唇を長い舌先で舐めた。
 扇情的な仕草。背筋にぞくりと電流が走る。意外にも細い指先が俺の頬を撫でた。それだけで、視界が赤く染まるほどの快感の予感が押し寄せてくる。
 脚を絡み付かせ、キンバリーほどじゃないにしろ、意外に豊満な胸を俺の腕に押し付けてくる。二の腕の辺りで肉の塊が潰れる感触に、自然と体が反応していた。
 体の芯の方から湧き上がる熱。この女を無茶苦茶にしてやりたいという欲望。
 どろどろとした感情が肚の奥の方で渦巻き、無意識の内に女の肩に手を置いて、
「やめとくわ」
 そのまま、軽く突き放した。
 数歩たたらを踏むように女は後退すると、不満げにこっちを睨み付けてくる。
「なんだよぅ、イタリア男が女の誘い断るなよぅ。男ならこのまま押し倒して服引ん剥くくらいしろってば。こちとらご無沙汰でちょこっと寂しかったりするんだよぅ。これでも脱いだらすごいんだぞー」
「それはたっぷりわかってるから安心しとけ」
 そりゃもう惜しいほどに。
 服越しとはいえ、あの柔らかさはかなりのもんだ。大雑把に見積もっても九十近くはあるだろう。その上あの身のこなし、人間じゃねえってことを差し引いても他に余分な筋肉が付いてるとも思えねえ。出るトコは出て引っ込むトコは引っ込んだ、理想的な体型だ。
 そりゃ俺としてもこの女は食っちまいたい。
 イタリア人ってワケじゃねえが、いい女の誘いを断るってのはあまりにも勿体ねえ。
 だが、である。だがしかし、ここはイタリアはラツィオ州ローマ市、法王庁すぐ目の前なのである。
 イコールそれはすぐ近くにキンバリーがいるってことだ。
 キンバリーに操を立ててるワケじゃ断じてねえが、キンバリーがすぐ近くにいるってのに他の女に手を出すほどマゾでもなけりゃ命知らずでもない。
 そんなふざけた理由で祓われるのは御免だった。あの女ならマジでやりかねねえ。
「何さ、まさかとは思うけど、恋人でもいるわけ?」
「恋人って呼んでいいかはわかんねえけどな」
 というか、そもそも俺やキンバリーに恋人って概念があるかどうかが怪しい。少なくとも俺はねえ。ヤりてえ相手とはヤりてえときヤれるときにヤる、それが俺の信条だ。来る者拒まず去る者追わず、いい女なら幾らでも来い。ただしキンバリーにバレねえっての前提で。
「うっわ、何それ。ヤり捨て? アンタ、意外と――ってそうでもないか。見るからに外道っぽいし」
「喧嘩売ってんのかてめえ。尻尾振って男誘っときながら、んな台詞吐く女初めて見たぞ」
「んふふー、外道ってことは否定しないんだ?」
「そりゃ事実だからな。俺が道外れてねえとしたら、どんだけ広い道だっつー話だ」
 幅三千キロはあるんじゃねえのか、その道。
 だとしたら、この世の中はもうちょい道理ってもんを見直した方がいい。神様辺りから作り直すべきだろう。
「ところでさ、その女の人って美人?」
 興味津々、といった様子で女が訊ねてくる。
「あー……美人っちゃ美人だな」短くなった煙草を吐き捨てながら答える。「いや、かなりの美人か。ついでに言や、体付きは相当エロい」
 世界のトップモデルと比べても遜色ないどころか、下手すりゃ勝ちを狙えるくらいだ。少なくとも、今まで俺が目にしてきた中では一番の上玉。体の相性の方もバッチリ、あれ以上の女はいねえ。それでも他の女に手を出さずにいられねえのは、男の本能ってヤツだろうか。
 ちなみに、性格の方のエロさはカンスト超えて桁を一つ新設ってレベルだったりする。
「あれでシスターやってんだから、世も末だよな」
 いやいや、神様も随分と心が広えもんだ。その寛容さのほんの一パーセントでも――いらねえか。神様からの施しなんざ反吐が出る。
 くつくつと喉を鳴らしながら、新しい煙草に火を点けた。
 ウチのファッキンシスターもそう言うに違いねえ。神の救いになど一片の興味もない、とかそんな感じ。
「うわ。相手シスターなワケ? 何それ、酔狂通り越して発狂してたりしない? どうせ[外典教区アポクリファ]のシスターなんだろうけど、そんなのがアンタみたいな素敵外道人外と釣り合うワケないじゃん。あたしみたいなブラバー美少女くらいでしょ、そんなの」
「いや、外道っぷりじゃあ、あの女の方が遙かに上だぜ? ファッキンクライストを地で行くからな、あの糞ッ垂れなシスターは」
 だからこそ俺たちは気が合うのだ。キンバリーの性格がああでなけりゃ、とっくの昔にぶっ殺してる。
 肺一杯に紫煙を満たしてやる。頭の奥の方が痺れる感覚。煙の味はわからねえが、要するにこの感覚が美味えってことなんだろう。数少ない俺の至福の瞬間だった。
「……それ、ほんとにシスター?」
 一応な、とだけ答えてやる。
 キリストを信仰してるってのがシスターの条件だっていうんなら、キンバリーは当てはまらねえだろう。キリスト教に入信してるってのが条件だっていうんなら、アイツは名前だけでも立派なシスターだ。
「じゃあ、やっぱ浮気は許してくれないワケね。なんだよぅ、一晩くらい別にいいじゃん神様だって見逃してくれるよー、ってあたしは思うんだけど」
 むう、と唸りながら女は言った。随分と簡単に言ってくれやがる。
「その一晩が命取りなんだよ、俺の場合。同類なんだから祓われるかもしれねえってことくれえわかんだろ。……そういやアイツ、てめえも浮気しねえから相手に浮気は許さねえ、っつってたっけな。アイツほど自分に甘くて人に厳しいのは見たことねえ」
「あい? なんでさ。自分も浮気しないんしょ?」
「アイツの場合、一人目からして遊びみてえなもんなんで、浮気が成立しねえそうだ」
「うわ、性格悪っ」
 女は手を叩いて笑った。
 まったくその通りだ。あの女ほどいい女は見たこともねえが、あの女ほど性格のワリい女は――ああ、いや。いたな、一人だけ。流石のキンバリーも、教区長のクソババアには敵わねえ。
 流石は[外典教区アポクリファ]、キリストの名を被った万魔殿パンデモニウム。外道には困らねえ。
 まあ、その筆頭である俺が言ってりゃ世話ねえか。何しろ俺、悪魔だし。
「そういうことなら、アンタと熱々ランデヴーってのは諦めるしかないかな。いいんだいいいんだい、あたしはモテモテなんだから。この後男十人くらい引っ掛けてやるっ」
 ぶう、と変な擬音と共に頬を膨らませて女は言った。
「そうしとけ、犬ッコロ。てめえならそんくれえ出来るだろうよ。俺が保証してやる」
「体で保証して欲しいところなんだけどにゃー」
 けらけらと犬歯を剥き出しにして笑い、女は踵を返した。真っ赤な髪が翻り、大きく波打つ。それらを中に詰め込むようにして、女はフードをかぶる。
「じゃあな、犬ッコロ。もう二度と会うこともねえだろうが、精々気ィ付けろ。俺以外の連中に見つかってみろ、即行祓われるぜ」
「んふふー。心配してくれてるワケ?」
 黒尽くめの格好で上半身だけ振り返り、女は愉しげに笑った。
「馬鹿言え。俺が他人の心配するような善人に見えるか?」
「世界がひっくり返ったら見えるかもにゃー」
 んな馬鹿な。世界がひっくり返ったって俺が善人になるワケがねえ。千回死にゃ多少は更生するかもしれねえが、試すだけ無駄ってもんだろう。
 それがわかってるのか、女は「きゃはははは」と笑い声を上げた。
「もし次に会ったら、そんときゃお前が死ぬときだ」
「ベッドの上で語り合うって選択肢はないのかにゃ?」
 そいつはかなり魅力的な提案だ。だが、
「そりゃ無理だな。ウチのご主人様シスターさえいなけりゃ考えてやってもいいけどな」
「んじゃ、そうなることを楽しみにしとこっかな」
「ああ、俺も楽しみにしといてやるよ」
 久し振りにキンバリー以外の女を食っちまうってのも悪くねえ。[外典教区アポクリファ]の女は一通り確かめたし、いつもとは違う女がたまには欲しい。
「そんじゃばいびー、[外典教区アポクリファ]の外道神父さん」
 ぱたぱたと女は手を振って言った。
 黒い影は一瞬にして路地裏の中に消え、段々と気配が遠ざかっていく。
 そして気配をすっかり感じられなくなった頃、俺は地面に置いたままの麻袋を拾い上げた。
 ――さて、我が麗しのファッキンシスターの機嫌が悪くならねえ内に俺も帰るとするかね。

 

 女と別れてからおよそ十分。俺は、[外典教区アポクリファ]の宿舎にある、自室の前に立っていた。ちなみにこの部屋はキンバリーとの相部屋になっている。
「おいキンバリー、帰ったぞ」
 ドアを開けながら言うと、「待ちかねたぞグリム」と部屋の奥から声がした。
 キンバリーは俺が出たときと同じく、椅子に座ってグラスを傾けていた。出るときはブランデー一本だった空き瓶が、ワインも追加されて二瓶になってたりする。ついでに言えば、現在三本目に突入中だ。
 グラスになみなみと満たされたワインを、キンバリーは一気に呷った。
 味覚障害な俺が言うのもなんだが、この女はもうちょい味わうってことを覚えるべきだろう。
 テーブルの上に、大量の酒と氷の入った麻袋を置く。どん、という重い音と共に、テーブルが微かに軋んだ。
 財布を適当に放って、キンバリーと向かい合うようにして椅子に座る。
「――む?」
 不意に、グラスを置いてキンバリーが首を傾げた。くんくんと鼻をひくつかせる。
「カソックはどうしたのかね、グリム」
「ああ、ちっとばかしアクシデントに遭ってな。そんときに細切れにされちまった」
 成る程災難だったな、とキンバリーは頷き、
「――それと、香水の匂いがするようだが」
 どきり、と今はもうないはずの心臓が高鳴った。ような、気がした。
 勿論あの女のものだ。抱き付かれた拍子に、こっちに匂いが移っちまったらしい。
 ふむ、と一つ呟いてキンバリーは立ち上がる。もうかなりの量の酒を飲んでいるはずなのに、その足取りはやけにしっかりとしていた。
 向かう先は部屋の奥のクローゼット。
 ……背筋を氷じみて冷たい汗が伝う。
 俺たちの部屋には、クローゼットが大小合わせて四つある。一番でかいのがキンバリーの服用。一番小っこいのが俺の服用。
 そして残りの二つは、
「懺悔の用意は出来たかな、グリム」

 ――俺たち二人の銃器用だったりする。

 じゃきり。薬室に弾薬が装填される。
 二つの銃口がしっかりと向けられていた。
 二丁拳銃ならぬ二丁散弾銃。左手にはベネリM4スーパー90、右手にはレミントンM11−87。しかもM11−87の方は銃身を切り詰めたソウド・オフ・ショットガン仕様。
 散弾銃ショットガンの癖に精密射撃が出来るM4と、通常以上に散弾を撒き散らすソウド・オフ仕様のM11−87。しかも両方セミオート。極悪にもほどがある組み合わせだ。つーか、まともな人間ならこんな使い方はしねえ。というか出来ねえ。
 この女は魔力で全身強化してやがるからこんな無茶苦茶が可能なのだ。
 ちなみにソウド・オフ・ショットガンってのはビバ・ピストラな銃社会アメリカでも規制を食らうくらいに違法でえげつねえ仕様だったりする。
 要するに、ソウド・オフ・ショットガンってのは、そんくらい凶悪な代物ってワケだ。
 キンバリーはゆっくりとこちらに歩いてくる。
 逃げ出すことは出来なかった。逃げ出そうなんて素振りを見せれば、その瞬間に二挺の散弾銃ショットガンが容赦なく火を吹いて俺をミンチにしてくれやがるに違いなかった。
 通常弾ならともかく、[外典教区アポクリファ]で使ってる銃弾は〈十字弾クローチェ〉と呼ばれる退魔仕様。いくら俺でも、何十発とそんなもんをぶち込まれりゃ祓われちまう。
 あの犬ッコロにはああ言ったものの、このままじゃあの女より先に俺が死にかねなかった。
「待て待て待て……! 落ち着け、落ち着けキンバリー。クールになろうぜ。ぜってえお前なんか誤解してっから!」
「ほう、何が誤解なのかね? まさかほんの一時間足らずで全身に女の匂いを染み付かせて帰ってくるとは。いやはや、まさか君にそれほどの甲斐性があるとは思わなかったが、七年間もイタリアに住んでいれば、君も立派なイタリア男に成長するというわけか。主としては従僕の成長を喜ぶべきなのかもしれないが――その前に改めて主従関係のなんたるかを、たっぷりとその体に教え込んでやらねばなるまい」
「いや、死ぬから! 教え込む前に俺が死ぬから!」
「なに、心配はいらないさ。この程度で死ぬほど君は柔ではあるまい」
「死ぬっての! てめえ面白半分でんなえげつねえ改造すんな! 至近距離で散弾銃ショットガン二発は即昇天するっつーの!」
「ああなんだ、そんなことか」
 にやり、とキンバリーは唇の端を吊り上げた。
 普段無表情でドS丸出しなことを平然とやらかすこの女がわざわざ笑ったってだけで、嫌な予感が止めどなく溢れ出してくる。まるで血の代わりに液体窒素でも注ぎ込まれて、背骨の代わりにドライアイスでもぶち込まれたみたいな感覚。
「安心したまえ――二発ではなく十発だ。それと君の場合、天に昇るということはあり得ない」
「そういう問題じゃねえ!?」
 瞬間、

 ドンッ!!

 と。馬鹿でかい銃声が鼓膜を抉るように轟いた。
 つぅ、と右耳と右頬から血が流れ落ちる。ぴちゃん、と音を立てて肩から血の雫が滴った。
 ……マジだ。この女、マジで殺す気で撃ちやがた。つーか、そこで首を傾げるんじゃねえ。
「やはりろくに狙わずに撃てばこんなものか」
 M4の銃口から微かな硝煙が薄く細く立ち上る。ツンと鼻を突く匂い。後ろで壁が崩れていく音がした。甲高い耳鳴りの残響が、いつまでも右耳の奥に木霊している。
「――さて。今ならばまだ申し開きを聞くことも出来るが、どうするかね、グリム」
「それはお前に聞く気があるって意味と、俺がまだ申し開きする機会があるって意味とどっちだ?」
「両方、と言っておこうか」
 つまりもう少しで俺を殺す気満々、と。
 この女の場合、それが冗談で済まねえのが問題だ。
「わかった。ちゃんと全部言う。んでもって誤解だってわからせてやるよ。――けどよ、その前に一つだけ言っときてえことがある」
「ほう。何かね、グリム」
 二つの散弾銃ショットガンを俺にポイントし直して、キンバリーは軽く首を傾ける。
「……時々思うんだけどよ。俺よかあんたのがよっぽど悪魔リヴァイアサンっぽくねえか? その嫉妬深えトコとか」
「ふむ」
 成る程、とばかりに頷いて、
「さようならだグリム、この七年間は楽しかった」
「待て待て待て……! 落ち着け、落ち着こうぜ、キンバリー。悪かった、今のは俺が悪かった。だからその引金に掛けた指に力込めんのだけはやめてくれ」
 次は間違いなく頭が吹っ飛ぶ。
 やれやれ、とわざとらしく大仰に溜息を吐きながらも、キンバリーは銃口を逸らそうとはしない。それどころかさらに一歩こっちに近付いて、額にM11−87の銃口を押し付けてくる。
 キンバリーがちょいと指先に力を込めれば、ビルの屋上からトマトを落としたみたいに、俺は無様に血と脳漿を撒き散らしながら死ねるに違いなかった。
 勿論、そんなのは御免だ。
 殺すのは好きだが殺されるのは嫌いなのだ。
「わたしがその手の冗談を好まないのは君とてよく知っているだろう? あまり無駄なことはしないでもらいたいものだな」
「ああ、痛感してる」
 文字通り痛えほどに。
 尤も、これっぽっちも冗談のつもりはなかったんだが。
 それで? とキンバリーは視線で促してくる。
「帰り道で野良犬にじゃれつかれたんだよ」
「ほう? 最近の犬は香水を使っているのか。成る程、わたしの知らない内に世間も様変わりしたものだな」
「そりゃ、神に仕える悪魔がいるくれえだからな。てめえの匂いを隠そうとか考えるふざけたメス犬がいたっておかしかねえだろ」
 くつくつと喉が鳴った。
 別に嘘は言ってねえ。
 だが、キンバリーは俺の言わんとしてることがまだわかってねえのか、眉を痙攣させていた。このままだとそろそろトマトになりかねない。
 だが、キンバリーはどうにか堪えてくれたのか、やや平静を欠いた声で訊ねてきた。
「それは尤もな意見だ。それで、君にじゃれついていたというメス犬はその後どうなったのかね?」
「さあ? んなこと俺の知ったこっちゃねえな。……ああ、いや、俺が断ったら今晩中に男十人くらい引っ掛けてやる、とかほざいてたっけか。ま、明日の新聞見りゃわかる話だ」
「――何?」
 ようやく俺の言っている意味がわかったのか、キンバリーは眉を吊り上げたまま目を細めた。
「十人死体が上がりゃあの女の言った通りってこった。どうだ、賭けてみるか? 俺は上がる方に百ユーロ賭けるぜ」
 あれだけの女だ、適当なパブとかに入って尻尾振れば、コロッと騙される男は幾らでもいるだろう。その気になりゃ三十分で一人ペースで殺せる。
 いや、単に殺すだけでいいんなら、一時間で十人は殺れる。それでも少ねえくらいだ。俺なら武器は〈十字聖剣クローチェ・ディ・スパーダ〉だけって条件があっても、一時間ありゃ百人くらいどうってこともない。あの女だってそうだろう。
 品定めの時間を加味して一人につき三十分、ってのが妥当なトコか。
「それでは賭けになるまい。君のカソックを細切れにするほどの使い手であるとすれば、その程度造作もないことだろう?」
「ああ。身体能力だけなら俺とトントンだったしな」
 お互い本気じゃなかったが、枷を着けた状態じゃそんな感じだろう。
 枷を外しゃ、身体能力じゃ敵わねえか。ま、こっちの武器はそれ以外なんで、別に構いやしねえんだが。
「成る程、それはわかった――」
 だが、と言葉を切って、キンバリーはさらに僅かに目を細めた。
 鋭い眼光と共に、睨め付けるような視線が俺の目を覗き込んでくる。
「――何故その場で殺さなかった?」
「ああ、んなことか――」
 くだらねえくだらねえくっだらねえ。
 まさかこの女からこんなつまらねえくだらねえ馬鹿みてえな質問が飛び出すとは。
「おいおい、俺を誰だと思っていやがる、正真正銘の悪魔だぜ? 何人人間が死のうが、構やしねえっつーの。犠牲者がこれ以上出ねえ内に処断しろ? は、馬鹿言うな。死ぬのは俺じゃねえ、死んだ野郎が運悪かっただけだ。そもそも、ほいほいついてって殺される男どもが馬鹿なんだよ。そこまで面倒見きれっか。――勿論、上から命令来りゃ喜んで殺してやるけどな」
 死にたくねえんなら死なねえで済むようにてめえで足掻け、っつー話だ。
 ――だが、嘘は吐いちゃいねえが、今言ったのが全部、ってワケでもない。
 もしあのまま戦ってたとしたら、認めるのは癪だが、負けてたのは俺だろう。
 元々俺の武器は身体能力じゃない。勿論普通の人間よりは遥かに上だが、あの女みてえにってワケでもねえ。
 この身は悪魔、甘言で人を惑わす地獄の使者。魔の名を冠するからには、魔術こそが本領だ。
 それら全てを制限して勝てるような相手じゃねえことは確かだった。こっちは虎の子全部使えねえってのに、あっちは多少の制限があるとしても自由に枷を外すことが出来る。
 わざわざ勝ち目のねえ勝負をするほど、俺は馬鹿じゃなかった。
「ああ、君の言う通りだ。神が全知全能ならば、悪魔は無知無能。人間の願いなくしてはその存在は許されない――ああ、まったく。グリム、君は正しく悪魔だよ。今更ながら、改めて思い知った」
「ほんと今更だな」
 尤も、俺の場合は人間の願いなんざ必要ねえんだが。必要だとすれば、俺自身の――既に名前さえ消え失せた、人間だった頃の俺の肉体の願いだろう。
「それより、さっさとこいつどかしてくんねえ? 暴発でもしたらたまんねえんだけど」
 額に突き付けられたままの散弾銃ショットガンの銃口を指差しながら言う。
 キンバリーが気紛れを起こしゃ即死亡、ってのは心臓にワリい。心臓ねえけど。
 だが、
「何故どかす必要がある?」
 しれっとキンバリーはそう言い放った。
「待て待て! なんだそりゃ、もう俺が撃たれる理由なんざねえだろうが!?」
「その結論に至った経緯が理解出来ないな。確かに君は野良犬にじゃれつかれたかもしれないが、君の誤解が解けたわけではあるまい?」
「あー……」
 そういうことか。
 つまり、何がなんでもはっきりと誤解を解け、と。
「んで? どうすりゃその誤解は解けんだ?」
 決まっているだろう、と言って。

「量と濃さでわかる」

07.09.08up

 


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