ゆきちゃんこと相模さがみ柚希ゆき先生が俺のことを『ヒロくん』と呼ぶようになってから二日後、土曜日の夜。
 今日の授業の後――俺の通う私立創明そうめい高校はゆとり教育のこのご時世に週休一日制を徹底してる珍しい学校だったりする――練習試合があったお陰で、明日の日曜日は丸々オフということになっていた。
「ゆきちゃん、明日暇?」
 くるくるとフォークにパスタを巻き付けながらゆきちゃんに訊ねる。
 本日の夕食はカルボナーラに生ハムとトマトのサラダ、ミネストローネとイタリアンで統一してみた。
「明日? ええ、暇よ。……けどゆきちゃん禁止」
 ゆきちゃんはお決まりの文句も忘れない。自分は俺のことをヒロくんって呼ぶ癖に、俺にはゆきちゃんって呼ばせてはくれなかった。
 学校ではちゃんと……ではないけど、一応相模先生って呼んでるし、家でなら別にいいんじゃないだろうか。もう教師の威厳なんてどこにもありゃしないんだから。
 ……それについては追々改めさせてもらうとして。
 今日の俺には、ちょっとした計画があった。それは、
「明日デートしない?」

 

 

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1/4 Introducimento IV

 

 

 彫像みたいに固まったゆきちゃんを尻目に、クリームソースを絡ませたパンチェッタをスプーンで口に運ぶ。……うん、上出来。
 ゆきちゃんはようやく思考が追い付いたらしく、呆けたような表情で固まっていた顔が段々と崩れていったかと思えば、みるみる内に頬に朱が差していく。
「で、でで、ででででで……」
 缶ビール片手に、ゆきちゃんは『で』を繰り返す。今ではもう耳まで真っ赤だった。
「だから、明日デートしよう」
 次の瞬間、

「デートぉお!?」

 鼓膜が破れるんじゃないかって大音量。
 耳の奥でキーン、と甲高い音が鳴っている。ゆきちゃんはといえば、ビールまみれになった手を震わせながら、真っ赤な顔で、「デート……デート……」なんてうわ言みたいに呟いていた。
 ゆきちゃんが俺に気がある、とまで自惚れるつもりはないけど、一昨日の一件を鑑みるに少なくとも嫌われてはいないだろうし、それどころか脈有りっぽい気もする。……それが自惚れなのかもしれないけど。
 けど、ゆきちゃんが真昼まひるに対してヤキモチを妬いてくれたくらいなんだから、それくらい自惚れたっていいじゃないか。
 平静を装いつつゆきちゃんを盗み見る。正直なところ、デートしよう、って言った瞬間は心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいドキドキだったけど、今じゃすっかり落ち着きを取り戻していた。相手が混乱してるとこっちは冷静になれるっていうのは本当らしい。
 ミネストローネをすすりながら、うん、と頷きを返す。
「な、ななな……なんでわたしとヒロくんがで、でででで、デートなんて……!」
 うん。素晴らしい混乱っぷりだ。ますます俺は冷静になっていく。
「いや、そんな慌てる程のことでもないと思うけど。ただ一緒に遊びに行こうってだけだし」
 男と女が二人きりで遊びに行けば、大抵デートになる。俺と真昼みたいな場合はそうはならないだろうけど。
「まあ、嫌ならいいけど。真昼や秀司しゅうじも暇して――」
「行きましょう。ええ、いいわ。デート。デートしましょう。わたしとヒロくんの二人きりで」
 俺の言葉を遮り、ゆきちゃんが早口で捲し立てる。
 ――思った通り。
 真昼の名前を出せばゆきちゃんは食い付いてくる――そんな、くだらない意地悪みたいな方法だったけど、ゆきちゃんは引っ掛かってくれた。こうやってデートに誘おうって思ったのだって、一昨日のそれがあったからなんだから、分の悪い作戦じゃなかった。
 腹の奥の方から込み上げてくる笑いを堪えながら、生ハムとトマトにフォークを刺す。
「じゃあ、決定」
 そうと決まれば、明日の作戦を立てないと。

 そして運命の日曜日。
 俺とゆきちゃんは、アパートから歩いて十五分程のところにある公園の噴水前で待ち合わせをすることになっていた。家が隣同士なんだから一緒に家を出ればいいとも思ったんだけど、『折角のデートなんだから、待ち合わせした方がそれっぽいでしょ』とはゆきちゃんの弁。なんだかんだで、いざデートすることになった途端、ゆきちゃんは俺以上にやる気満々だった。
 腕時計を見ようとジャケットの袖を捲ろうとしたとき、すぐ近くに時計台があることを思い出した。
 噴水の中央に、大きな時計が三つ、それぞれ別の方向を向いて取り付けられている。見上げてみると、澄み渡った青空とぽっかりと浮かんだ白い雲を背に、鳩が一羽留まっていた。
 午前九時半――待ち合わせの時間である十時まであと三十分。
 ……前言撤回。やる気満々なのは、どうやら俺の方だったらしい。
 サッカー部ってことで時間前行動は当たり前だけど、まさか三十分も早く着いてしまうとは。まあ、家を出ていきなりバッタリ、なんて事態にならなかったんだからいいか。
 噴水近くのベンチに腰掛けて、公園の中をぐるりと見渡してみる。小さなボールを蹴ったりキャッチボールをしている親子。待ち合わせでもしているのか、きょろきょろと辺りに視線を巡らせている男性。所狭しと駆け回る男の子。おままごとに興じる女の子。砂場で山を作る小さな子供。顔を突き合わせて携帯ゲームで遊ぶ小学生。こっちに向かって歩いてくるゆきちゃん――ゆきちゃん?
 ベンチに座ったまま視線を持ち上げて時計を見る。現在時刻、九時四十分。ジャケットの袖を捲って腕時計を見てみると、確かに九時四十分だから、この時計が狂ってるってワケじゃないらしい。
 正直、驚いていたりする。何が驚きかって、ゆきちゃんがこんなに早く来ることが。……いや、それよりも十分早く来てる俺の台詞じゃないのかもしれないけど。
 だって、俺の知ってるゆきちゃんは学校じゃちょっと頼りになる若くて可愛い英語の先生だけど、実は毎日俺の家に夕飯を食べに来てる上に毎日のように酔い潰れる駄目人間で。時間にルーズとまではいかないにしろ、少なくとも来るのは時間ギリギリだろうと思ってたんだけど。
 そのゆきちゃんはといえば、俺の隣に突っ立って、何やらそわそわしていた。腕時計と時計台と辺りとに忙しなく視線を行き来させている。
 ……もしかして、気付いてないんだろうか。
 横目でゆきちゃんの姿を眺める。黒のブラトップにシースルーのカシュクールタイプの白いブラウス、黒い七分丈のパンツ、足許は黒いローヒールのミュールとモノトーンにまとめてある。ゴールドのネックレスが程良いアクセントになっていた。
 対して俺の格好はといえば、白いプリントTシャツにベージュのライトジャケット、ブルーのジーンズ。少しばかりラフすぎたかもしれない。
 ゆきちゃんが公園に来てから早十分。未だに俺に気付く気配はなかった。
 溜息を吐きつつベンチから立ち上がり、
「ゆきちゃん」
 と声を掛けた瞬間、
「ひゃぅっ!?」
 なんて奇声をあげて、ゆきちゃんは大きく後退りながらこっちを向いた。
「……驚きすぎだろ、いくらなんでも」
 サングラスを持ち上げながら言う。
 これじゃ、まるで俺が悪い人みたいじゃないか。ひしひしと感じる視線が痛い。
「ひ、ヒロくん?」
 ほぅ、とゆきちゃんは溜息を吐いた。どうやら、本気で俺を変質者か何かだと思ってたらしい。そりゃ、いきなり声を掛けた俺も悪いかもしれないけど、すぐ近くにいたのに気付かなかったゆきちゃんもゆきちゃんだ。
 ゆきちゃんは心底安心したような様子で胸を撫で下ろすと、俺の頭を指差して首を傾げた。
「髪、茶色くなかったっけ……」
「黒戻しとかって売ってるじゃん。今日一日だけアレ使ったの」
 創明高校はその手の校則が緩いから使う機会はずっと来ないだろうと思ってたけど、一応買っておくものだ。
「少し変装くらいしとかないと。やっぱ休日に先生が生徒と歩いてたりしたらまずいじゃん? ま、一目見てゆきちゃんが気付かなかったくらいなら心配ないかな」
 真昼や秀司を除けば一番一緒にいる時間が長いのはゆきちゃんだ。そのゆきちゃんでさえ気付かなかったんだから、変装はひとまず成功したと考えて良さそうだ。
 変装とは言っても、髪の色や髪型を変えてサングラスを掛けたっていう程度でしかないけど。人間、見た目の印象が変わればすぐにはそうとわからないものらしい。
「……すぐ気付いてもらえなかったのはちょっとショックだったけどさ……」
 実を言うと、ゆきちゃんなら気付いてくれるんじゃないかってちょっぴり期待してたりもする。まあ、その期待はあっさりと木っ端微塵に砕かれたワケだけど。
「仕方ないじゃない、ヒロくんが変装してるなんて思わなかったんだから」
「いや、それはどうよ」
 自分のクラスの担任教師をデートに誘った張本人である俺が言うのもなんだけど、この人はもう少し自分の立場ってものを考えられないんだろうか。
「ゆきちゃん。自分が教師って自覚、もうちょい持とうぜ」
「わかってるわよ、それくらい」
 わかってねえから言ってるんすよ――流石にそれは口には出さなかったけれど。代わりに、俺は盛大な溜息を吐いた。
「あー……なんか時間前からいきなりどっと疲れた……」
 時計を見上げてみる。九時五十五分、待ち合わせの時間まではあと五分――けど、これくらいの時間なら誤差の範囲内だ。
 折角お互い早く来たんだから、その分楽しまなきゃ損ってもんだろう。
「じゃ、行こっか」
 ゆきちゃんの手を取って歩き出す。突然のことに驚いたのか、ゆきちゃんはたたらを踏んだ。
「え、ちょ、ちょっとっ! なんで手なんて握ってるのよ!?」
「そりゃ、デートだし」
 文句は聞かない。デートなら手くらい繋いで当然。
 ちらりと後ろを振り返ってみると、ゆきちゃんは真っ赤な顔で俯いていた。伏し目がちにこっちを睨んでくる目と俺の目が合う。
 俺だって恥ずかしいけど、しばらくすればすぐ慣れるに違いない。……そうじゃなきゃ、困る。
 よし、内心で呟いて自分に活を入れる。繋いだ指先から、ひんやりとしたゆきちゃんの体温が伝わってきた。
「ああ、そうそう」ふと思い出して、「『ゆきちゃん禁止』は今日は聞かないから。行くよ、ゆきちゃん」
 ゆきちゃん禁止、というお決まりの文句はなかった。
 


 デートに誘っておいてなんだけど、生憎ながらこっちは親の脛かじって生活してる身、ゆきちゃんには申し訳ないがあまり洒落た所に行ったりなんてことは出来ない。
 ただでさえここ三週間程は出費が倍近くにまで跳ね上がってる所為で金欠なのだ、今回のデートだって殆ど暴挙みたいなものだった。
 そんなワケで、今現在俺とゆきちゃんがいるのは映画館の前。公園から歩いて十分程度のところにある、この辺りでは一番大きな映画館だった。現在時刻十時十分、開演時刻十時半。今からチケットを買えば、まあまあいい席が確保出来るはず。
「ゆきちゃん、どれか見たいのとかってある?」
「そうね……怖いの以外なら」
「あ、ゆきちゃんってホラーとか苦手なタイプなんだ。ちょっと意外――でもないか」
 怖いんだけど、その怖いもの見たさにテレビのホラー番組をちらっと見ちゃって、夜中一人でトイレに行けなくなるタイプだ、ゆきちゃんは。その癖して似たような番組をまた見ずにはいられない。
「じゃあ、お化け屋敷とかその手のも駄目、と」
「無理、無理無理無理。絶対絶対ぜぇーったい、無理!」
 そこまで言う程苦手なのか。
 ……まあ、昨今のお化け屋敷の怖さは尋常じゃないからな。怖いっていうか、びっくりして心臓が肋を突き破るんじゃないかってくらいだ。中学の卒業旅行で行った遊園地のお化け屋敷は、思い出すだけで体が震えそうになる。
「ジェットコースターとかは?」
「あ、そういうのは割と大丈夫。あんまり怖いのは駄目だけどね」
「んー……てことは、遊園地はやめといた方が無難かな」
 お化け屋敷も大規模なジェットコースターも苦手となると、遊園地の楽しみは半減してしまう。ネズミの王国とかならまだしも、純粋な遊園地となると、やっぱり一番の楽しみは絶叫系とお化け屋敷だろうし。
「えーっと……ヒロくん、なんの話してるの?」
 不思議そうにゆきちゃんが訊ねてくる。
「次のデートの話。ゴールデンウィークは終わっちゃったけど、ゆきちゃん顧問ないし、また遊びに行けるっしょ」
 次は一日中遊園地とかで遊んでみようかとも思ったんだけど。今の内に計画を練り直しておいた方が良さそうだ。
 まあ、取らぬ狸の皮算用って言うし――ちょっと違う気もするけど――、そのときのことはそのときになってから考えよう。
「あ、それより何見よっか」
 今公開しているのは、当たり障りのない恋愛映画が一つと感動作らしいのが一つ、アクションが二つ。ゴールデンウィークの名残か、アニメ映画なんてのもある。韓国映画もあるけど、ゆきちゃんの歳だと韓流ブームってのは違うだろうし。
「ゆきちゃん、どうする――って、どしたの?」
 頬を赤く染めて、ゆきちゃんは俯いていた。小刻みに唇が動いていて、口許に耳を近付けてみると、「デート……デート……」なんて聞き覚えのあるフレーズが聞こえてくる。
 ……時折、本当にゆきちゃんが年上かどうか悩むことがある。
 二十二、三にもなれば、デートの一回や二回経験した頃があるだろうに。デートは初めての俺の方が落ち着いてるっていうのはどういうことだろう。訊いてみたいけど……訊いたら訊いたで怖い結果が返ってきそうで嫌だ。
 つーか、ゆきちゃんの隣を他の男が歩いてるのを想像すると、なんかムカツクのだ。これもヤキモチなんだろうか。
「ヒロくん?」
「――悪い、ちょっと考え事してた」
 ゆきちゃんの声で我に返る。
 そうだ、今ゆきちゃんとデートしてるのは俺なんだから、そんなヤキモチ必要ない。
 ぶるぶると頭を振ってゆきちゃんの方に向き直ってみると、何が不満なのかゆきちゃんは頬を膨らませていた。
 突然、繋いでいた手が強く握られる。
「いっ!?」
 特別痛いワケじゃないけど、驚いて声をあげてしまった。周りには聞こえなかったみたいだ。
 サングラスを少しだけずらして、ゆきちゃんの表情を窺ってみる。ゆきちゃんは眉を吊り上げ、頬を膨らませ、こっちを睨んでいた。
 要するに。完全無欠に怒っていた。
「えーっと……?」
 ……怒らせるような真似をした覚えは、ない。
 そりゃ、ちょっと考え事してたけど、ここまで怒るようなことだろうか。
「考え事って……わたし以外の誰かのこと?」
 吊り上げていた眉尻を下げて、今度は不安そうに言う。
 それで、ようやく合点がいった。お互い、確かめようのない――相手に訊けば確かめられるんだけど――コトでヤキモチ妬いてたワケだ。
 なんだか、毒気を抜かれた感じ。
「あー……そう言えばそのような、そうじゃないような」
 ゆきちゃんのことを考えてたといえばそうだし、別の誰か――ゆきちゃんがこれまでに付き合ってきたムカツク野郎共――のことを考えてたとも言えるし。
「んで、ゆきちゃんは俺が真昼のことでも考えてたって思ったワケだ」
「うぅ……」
 ゆきちゃんがしゅんとして唸った。
 どうしよう……公衆の面前じゃなかったら抱き締めたいくらい可愛いぞ、おい。
 軽く頭を振って煩悩を追い出し、脳味噌の片隅に残った分の煩悩で、緩みかけていた指をもう一度しっかりと絡ませる。
「大丈夫、俺の方も軽いジェラシーみたいなもんだから」
「どういうこと?」
「気にしない、気にしない。さ、何観るか早く決めようぜ」
 やっぱり、王道は恋愛映画だろうか。
 ……うん、それがいい。

 ――今の気持ちを、正直に白状しよう。
 なんなんだ、このこっ恥ずかしさは……!
 異性と一緒に映画館なんていう暗室で隣り合ってあまつさえ手なんか繋いじゃったりしながら観る恋愛映画っていうのがハリウッド映画みたいなベッドシーンの有無に関わらず日本の平々凡々な純愛物語であってもこんなに恥ずかしいとわっ!
 ……いかん、思考がオーバーヒートしてる。
 俺達が今いるのは、映画館のすぐ近くにある喫茶店だった。テーブルの上には俺の珈琲とオムライス、ゆきちゃんの砂糖大増量ミルクティーにナポリタン。映画が終わったのが正午過ぎだから腹も減ってきてたし、午後の予定を立てるのにも丁度いいと思ったんだけど――。
 珈琲のカップを口に運びながら、ゆきちゃんの方を窺ってみる。同じくミルクティーを飲みながらこっちを見ているゆきちゃんと目が合った。カップから口を離して、曖昧に笑い合う。ゆきちゃんの顔はどこか紅潮しているように見えた。尤も、それを言ったら俺も負けじと顔は真っ赤なんだろうけどさ。
 珈琲をすする。ブラックの苦味が少しは頭を冷やしてくれるかとも思ったんだけど、それどころかこうやって向かい合って座ってるってだけで恥ずかしさ――というより、緊張感倍増だ。
 ……けど、こうやって黙っていたって始まらない。意を決して、俺は口を開いた。
「あ、あのっ……」
 ハモった。一字一句同じ言葉、同じタイミングで。完璧に。
 得も言われぬ気まずさが辺りに漂う。
「ゆきちゃん、先に言っていいよ」
「ううん、ヒロくんからどうぞ」
 一瞬は晴れたかと思えた気まずい空気が再来した。
 あー……駄目だ。ゆきちゃんといるのは凄く楽しいはずなのに、今は息苦しい。家で夕飯食ってるときなんかは静かだったりしてもなんの問題もないはずなのに。デートの魔力恐るべし。
 どうぞどうぞ、なんてお互いに譲り合ってたって意味がない。ここはゆきちゃんの言う通り、俺から先に言わせてもらうとしよう。
「じゃあ、お言葉に甘えて。――冷める前に食おう」
 オムライスもナポリタンも、温かいからこそ美味いものだ。特にナポリタンなんて、時間が経ったらパサパサになる。喫茶店のメニューってことであまり期待はしてないけど、一応ある程度は人気のある店らしいし、料理を作る人間としては美味いときに美味く食べてもらいたい。それは、別の誰かが作った料理でも同じだった。
「そ、そうねっ」
 わたわたとゆきちゃんはスプーンとフォークを手に取った。俺もスプーンを持って、オムライスを端から食べ始める。少し冷めていて微温くなっていたけど、そこそこ美味かった。
「どう、ゆきちゃん。美味い?」
「んー……まあまあ、かな。ヒロくんが作ってくれたのの方が美味しいかも」
「そりゃ光栄だ」
 本当よ、とゆきちゃんが言う。まあ、俺も喫茶店のランチメニューにそうそう負けるつもりはないけど。負けたりしたら、師匠である真昼に申し訳が立たない。
「映画、ヒロくんはどうだった?」
 無難な食事の話で気がほぐれたのか、ゆきちゃんは今度こそやわらかな笑顔を浮かべて言った。
「ゆきちゃんは?」
「あ、ずるい」
 質問に質問で返すのは、確かにずるいかもしれない。けど、「人に感想訊くなら、まず自分から言わないと」と自分のことは棚に上げた。
 むー、としばらくゆきちゃんは唸っていたけど、観念したのか――それとも本当は自分の感想を聞いて欲しかったのか――微かに頬を緩ませて口を開いた。
「わたし、凄く感動しちゃった」
 ヒロインの女性が主人公の男を遠ざけようとしたり、けれど遠ざければ遠ざける程彼と一緒にいたいという気持ちが膨れ上がっていって。最後、物語のお決まりのように死が二人を別った瞬間には、少しだけ泣いてしまった――ゆきちゃんはそう言った。
 ゆきちゃんの頬には涙の流れた跡がある。思い出して再び感極まったのか、ゆきちゃんの目は潤んでいた。
 ……まあ、ゆきちゃんの泣き方は凄かったからな――俺のポケットの中のハンカチは湿っていた。
「ヒロくんは、どうだった?」
 一周回って戻ってくる。最初の質問。
「そうだな……こっ恥ずかしかった?」
「は、恥ずかしいって……ヒロくん、あんないい映画観て、その感想がそれ!?」
「ちょっ! 落ち着いて、落ち着けってば!」
 両手にフォークとスプーンを握り締めたまま、ゆきちゃんが体を乗り出してくる。下手すると、このままフォークで刺されかねない剣幕だ。生憎、俺にフォークで刺されて笑っていられるような度胸はなかった。
 渋々といった様子でゆきちゃんは椅子に座り直す。
 ほう、と小さな溜息が零れた。
「そりゃ、俺もいい話だったと思うよ。柄にもなくちょっと泣きそうになったし――ってのは言い過ぎかもしれないけどさ」それでも、少しだけうるうる来たのは事実だった。けれどそれ以上に、「人と一緒に恋愛映画観るのってあんな恥ずかしいもんだったんだな……。ありゃ心臓に悪い」
 秀司やサッカー部の連中と一緒に観に行くときは、大抵アクション映画になる。恋愛映画だとしても、『タイタニック』みたいな所謂大作映画だ。間違ってもこういった純愛映画を観るような関係じゃない。
「自分で言い出しといてなんだけど、顔から火出るかと思った」
 そう言って珈琲をすする。
「どうして?」
 フォークにナポリタンを巻き付けながら、ゆきちゃんは心底不思議そうに首を傾げた。この人の場合、映画の内容に没頭しすぎてて俺みたいに余計なコトを考えたりはしてないんだろう。
「だってさ。恋愛映画観るのって、大抵カップルじゃん?」
「ええ。けど、それがどうしたの? 他の人のことなんてわたし達には関係ないでしょ」
 それは全く以てその通り。けど、他の人の視線が気になるというのもまた人情なワケで。
「俺達もそういう風に――恋人同士に見えてるのかなって」
 その瞬間、ゆきちゃんは盛大に噎せ込んだ。
「げほっ、こほっ……。ひ、ヒロくん……?」
「だってそうじゃん? 映画館で手繋いで恋愛映画観てる二人組なんて、端から見たらカップル以外の何ものでもないっしょ。――ま、デートしてるんだし、別に俺は構わないけどさ」
「え、ぁ……ぅ……」
 突然しどろもどろになって、ゆきちゃんは呻くように声を漏らした。顔が真っ赤だ。今更気付いた、って感じ。
 それを気にせず続ける。
「個人的には、映画館の中で知り合いと会ったりしないかってコトの方が怖かったかな」
 今はサングラスを着けてるからいいけど、映画館の中じゃサングラスを着けてるわけにもいかない。髪の色や髪型を変えたって、簡単にバレる。目許が出てるのと出てないのとじゃ全く違うのだ。
 ……まあ。こんな変装程度、秀司や真昼と会ったら一瞬でバレそうだけど。
 幸いにして、知り合いの類と映画館で会うことはなかった。特別大きな映画館やショッピングモールのまっただ中ってワケでもなし、高校の友達に会う確率なんてそもそも低かったんだから当然といえば当然かもしれない。
 冷めてきた珈琲を口にする。小さなカップの中はそれで空になった。
 再びオムライスに箸を付けようとしても――スプーンでこれは変な表現だけど――ゆきちゃんは顔を真っ赤にして「カップル……恋人同士……」とうわ言のように呟いていた。
「ゆきちゃん?」
「はいっ!?」
「いや、そんなに驚かなくていいからさ」皿の端にスプーンを置いて訊ねる。「ずっと思ってたんだけど、ゆきちゃんってあんまデートの経験とかなかったりする? 昨日からやけに……なんて言うか……初々しい? って言うか、緊張してるみたいだし」
 まあ、その分俺の緊張がほぐれてるんだけど。そういう意味では、ゆきちゃんが緊張しててくれてるのはありがたい……のかもしれない。
「うぅ……」
 何か地雷でも踏んだんだろうか、ゆきちゃんが目に見えて落ち込んでいる。手にはフォークとスプーンを握ったまま、俯いていた。
 怒ったり、恥ずかしがったり、落ち込んだり。ぐるぐるぐるぐる。ゆきちゃんの表情はよく変わる。学校で見せるような落ち着いた雰囲気とはまるで違う、まるで子供みたいな――同年代の女の子みたいな表情。
 ……うん。やっぱり、ゆきちゃんは可愛い。綺麗って言うよりも可愛い、って言う方が似合ってる。
「――め……じゃ……い?」
 ぽつり、とゆきちゃんが俯いたまま小さく呟いた。
 思わず「え?」と訊いてしまう。
 ゆきちゃんが俯いていた顔を上げる。その目には、うっすらと涙が滲んでいた。
「え、え……?」
 何、この状況。なんでゆきちゃん泣いてるんだろう――そう思った瞬間。
「これが初めてじゃ悪い!?」
 涙の粒が一つ、ゆきちゃんの右目から零れ落ちる。けど、ゆきちゃんには本当に申し訳ないのだけれど、俺の意識はゆきちゃんの涙以上にゆきちゃんの台詞に引き寄せられていた。
『これが初めてじゃ悪い!?』
 ゆきちゃんは、確かにそう言った。聞き間違いなんかじゃない……はず。
 と、いうことはだ。――つまり、俺がゆきちゃんの初デートの御相手というワケで。
「――え? えぇぇええ!? う、嘘だろ!?」
 思わず椅子から立ち上がりながら訊ねる。ゆきちゃんは答えない。こういう場合、沈黙は嘘じゃないって言ってるようなものなワケで。
 もう一度声をあげそうになったとき、ふと店内がやけに静まり返っていることに気付いた。スピーカーから流れているクラシックの音色だけが聞こえてくる。周りを見渡してみると、皆さん目を丸くしてこっちを見ていた。
 ぺこぺこと会釈をするようにお辞儀しながら椅子に座り直す。
「本当に?」少し声のトーンを落として訊き直してみる。「ゆきちゃんて可愛いのに……デートしたこと、本当に今まで一回もなかったの?」
 こくり――俺の問いに、ゆきちゃんは無言で頷いた。その拍子に、涙が落ちてテーブルクロスを濡らした。ポケットから、先程映画館でも貸したハンカチを取り出し、ゆきちゃんの涙を拭ってやる。
「だって、高校も大学も女子校だったんだもん……。合コンだってあまり行かなかったし……」
「街で声掛けられたりとかは?」
「あったけど……全部断った」
「そりゃなんとも――」
 ――勿体ない話で。
 ナンパされるってのは、女の子にしてみればかなり嬉しいことなんじゃなかろうか。特にゆきちゃんの場合、引く手数多だったろうに。
 女子校や男子校の場合、その中だけで完結するか合コン繰り返すかのどっちかだって聞いたことがあったけど、ゆきちゃんの場合それは当てはまらないらしい。
 俺の胸の中で渦巻いていた感情は、驚きよりも何よりも、喜びだった。
 ゆきちゃんには申し訳ない。申し訳ないけど、俺はゆきちゃんがデートしたことないのを心の底から喜んでる。
 それが表情に出てしまったのか、ゆきちゃんは不満そうに、潤んだ目でこっちを睨んできた。いつも通り迫力は皆無――と言いたいところだけど、充血してる所為で普段とは違う、言い知れない威圧感に満ちていた。
「ごめん、ごめん。ちょっと嬉しくってさ」
「……そう。ヒロくんはわたしが男の子と付き合ったこともないような女で嬉しいんだ」
 ゆきちゃんは冷ややかな声で言った。けれど俺は、
「――うん、嬉しいよ、凄く」
 正直に、そう言った。
 俺を睨むゆきちゃんの眼差しが鋭くなる。けれど、やっぱりあんまり迫力はない。
「だってさ、それってつまり、ゆきちゃんの昔の男とかって考える必要がないってことっしょ? 正直、ちょっと嫉妬してたトコだったりするし」
 そんな考え方はきっとお門違いなんだろうけど。
 今ゆきちゃんとデートしてるのは俺なんだって自分を納得させようとしたって、嫉妬したくなるもんは嫉妬したくなるのだ。もしかすると、一昨々日ゆきちゃんが真昼にヤキモチ妬いてくれたのも似たような感じなのかもしれない。
「だから、良かったかな」
 ぷい、とゆきちゃんは何も言わずに顔を逸らしてしまった。けど、それは今まで俺からは見えてなかった真っ赤な耳朶がはっきり見えるってコトで。紅潮した頬と、それ以上に真っ赤になった耳は、言葉以上に雄弁にゆきちゃんが照れてるんだってコトを教えてくれていた。
「じゃあ、俺は余計な心配が一つ片付いたことだし、デートっぽいコトの一つや二つでもしてみようかな」
 わざとらしくそう言って、オムライスをスプーンにすくった。
 そのスプーンを、ちらちらとこちらを横目で窺っているゆきちゃんの顔の前へと持っていく。
「はい、あーん」
 ちょっと立場が逆のような気がするけど気にしない。
 軽くスプーンを揺らしてチキンライスとデミグラスソースの香りを送ってやる。ぴくり、とゆきちゃんは少しだけ反応した。
「ほら、ゆきちゃん。あーん」
「あ、あーん……」
 やっと観念してくれたらしく、小さく口を開けて、ゆきちゃんはスプーンをくわえる。口許を手で隠しながら咀嚼して、「……おいし」と小さく言った。
 けど、あっさりと陥落したことが不満なのか、こっちを睨み付けてくる。
「――あ」
 吊り上がっていた目尻が、今度は笑みの形に垂れ下がる。まるで、「いいこと思い付いた」とでも言うように。
 あー……なんか、すっごい嫌な予感するかも。
 ゆきちゃんはにやにやと笑みを浮かべたままナポリタンをフォークに巻き付け、
「今度はわたしの番ね。はい、ヒロくん。あーん」
 ――予感的中。
「あーん」
 フォークがこっちへと差し出されてくる。
 逃げ場は、なかった。
「あ……あーん……」
 諦めて、俺はフォークをくわえた。
 味もわからないまま咀嚼して飲み込む。ゆきちゃんには悪いけど、こっちはゆきちゃんと違って味わう余裕なんかなかった。
 だって、ゆきちゃんは気付いてないんだろうか。これは所謂間接キスってヤツで。今の俺達はバカップルそのものだってコトに。
 気付いて、ないんだろうな……やっぱ。
 ゆきちゃんは一頻り満足したようで、これまでとは打って変わって満面の笑みを浮かべている。
 溜息を吐いて、オムライスを一口。
 ――間接キス、その二。自爆。

 どうしよ、マジで顔が熱くなってきた。

 

 昼食の後、午後はまずデパートに行ってウインドウショッピングをすることになった。ゆきちゃんもやっぱり女の子、綺麗な服を見て目を輝かせていた。
 続いてゲーセンに行ってプリクラを撮り、併設されてるボウリング。ちなみに俺の圧勝。手加減してやるべきだったかもしれない。最初はカラオケに行きたがってたゆきちゃんだけど、ボウリングが終わった頃には疲れてカラオケはノーサンキューとなっていた。
 ――そうして、今。俺達がいるのは、待ち合わせをしたのと同じ公園だった。
「はい、ゆきちゃん」
 ミルクティーの缶をブランコに座っているゆきちゃんに手渡す。ありがと、と言ってゆきちゃんは缶を受け取り、両手で包み込むようにして持った。
 缶珈琲のプルトップを開け、一口。
 昼間はあんなに沢山いた子供達の姿はなくなっていた。それどころか、公園の中に俺達以外の人影はない。時計を見れば、もう七時を回っていた。五月も半ばのこの時期、七時になれば日も暮れて辺りは暗くなる。公園の中でも、幾つか電灯が光っていた。
「ゆきちゃん、今日は楽しかった?」
「ええ、とっても」
 ミルクティーを一口飲んで、ゆきちゃんは頷く。
 そう言ってもらえると、デートに誘った甲斐もあるってもんだ。ゆきちゃんが楽しんでくれてなかったなら、どれだけ俺が楽しくったって意味がない。
 ゆきちゃんの隣のブランコに座って、足を地面に着けたまま軽く揺らす。
「ゆきちゃんさ、今まで誰かと付き合ったことなかったんでしょ? じゃあ、誰かのこと好きになったことは?」
「ちょっと、何よ突然……」
「俺は――あるよ。俺も誰かと付き合ったこととか一度もないけど、女の子を好きになったことは、ある」
 鎖が軋んで、キィ、という甲高い音を立てた。
「初恋は……いつだったっけな。まあ、初恋なんて叶わないもんだって言うし、今はどうでもいいんだけど」
 正直言えば、今だってはっきりと覚えてる。
 小学五年生の頃。俺は、一人の女の子を好きになった。好きか嫌いかって二択で言えば、きっと今だって好きな部類に入るんだろう。けど、その好きは今となってはライクでしかない。昔はラブだったかもしれないけど、今はライクでしかない。
 ――だから、俺とアイツが付き合うなんてこと、絶対にあり得ない。
 ……まあ。それも、とっくの昔に終わった恋なんだけど。
「まあ、こっからが本題なワケで。一番最近好きになった人は、普段は大人っぽくて格好いいんだけど、実はずぼらで典型的な駄目人間でさ。飯は自分で作れないわ、毎日人の家に夕飯食いに来るわ、酒を飲んだらあっさり酔い潰れるわ、だだこねて人の家に居座るわ。こんな感じでもう駄目人間中の駄目人間、それこそプロの駄目人間ってくらい」
「――へ、え……」
 横からゆきちゃんの視線が突き刺さる。思いっ切り睨んできてるのがわかる。まあ、そりゃわかるわな。どう考えたってゆきちゃんのことにしか聞こえないし。けど、それを気にしないで、珈琲で唇を湿らせて俺は続けた。
「……けどさ。俺はその人のこと好きなんだよね。ゆきちゃん的にはどう思う?」
「さあ、知らないわよ」
 そう言ってゆきちゃんはそっぽを向いてしまう。どうやら、機嫌を損ねてしまったらしい。
「取り敢えず、凄く趣味悪いと思うけど」
「あー、そりゃ微妙に同感かも」
 確かに、普通ならああいう駄目人間好きになったりはしないかもしれない。
 外面で好きになるのは当然だ。凄く格好良くて、十人に訊けば十人が「美人だ」って答えるに違いない。
 けど、俺は可愛いって思った。そういう駄目なトコも全部ひっくるめて、好きになったんだ。
「でも、仕方ないじゃん? 好きになっちゃったもんはさ」
 そう。好きなもんはしょうがない。
 普通ならあんな本性見て幻滅するところなのかもしれないけど、それどころか俺はそれに親しみを感じたし、そういうところを見るたびにどんどん惹かれていった。好きになっていった。
 ブランコから立ち上がり、その腕に珈琲の缶を置く。俺が立ち上がった拍子でブランコは大きく揺れて、キィキィと軋みを上げていた。
 隣のブランコに座っているゆきちゃんの前に立つ。
 そっぽを向いたゆきちゃんの顔を両手で挟み込んで、こっちを向かせる。
 朱の差したすべすべの柔らかな頬は温かで、明るい色の瞳が俺の顔を見上げている。じっとその目を見つめて、俺は言った。
「……まあ、要するに」
 キィ――ブランコの揺れが止まる。

「俺が好きな人ってのはゆきちゃんのことなんだけどさ」

 手に触れているゆきちゃんの頬が段々と熱くなっていく。頬は見る間に赤く染まり、俺を見上げている瞳が潤む。
「えーっと……まあ、その……」
 ゆきちゃんの顔から手を離し、一歩だけ下がろうとすると、手首を掴まれた。ゆきちゃんは何も言わず、けれどしっかりと俺の左の手首を掴んでいる。
 思わず、溜息が零れた。
「……思い切って好きな人に告白した人間としては、やっぱり告白の返事を聞かせてもらいたいもんなんだけど……」
 自由になっている右手で頬を掻く。
 今更だけど、恥ずかしさっていうのが後から後から押し寄せてきた。けど、その恥ずかしい真似をしたことについての後悔は全くなかった。
 だって。告白もしない内にフられるのは、もう御免だったから。
「ヒロくんは……」俯いたままゆきちゃんは言った。「どうして、わたしのこと好きになったの?」
「どうして、ね」
 それはなかなか難しい質問だった。
 ゆきちゃんの好きなところは、いくらだってある。
 可愛い外見は勿論だけど、学校で見せるお姉さんっぽいところとか、子供っぽいところとか、ちょびっと――というより、かなり駄目人間なところとか、どこか抜けてて放っとけないところとか、全部ひっくるめて。
 切っ掛けは本当につまらないこと。一緒に夕飯を食うようになって。ゆきちゃんと一緒にいる時間を楽しいと思うようになって。
 ――ただ、一緒にいたいと思った。ただ、それだけ。
 誰かを好きになったってことは初めてじゃないけど、ガキの頃の恋愛感情とは全然違って。ゆきちゃんのことが、一人の女の子として好きだった。
 だから、きっと。
「理由とかないんじゃない? ゆきちゃんと一緒に飯食ったりして一緒にいる内に、ただゆきちゃんともっと一緒にいたいと思って、自然とゆきちゃんのこと好きになった。……そんじゃ駄目かな」
 ふるふるとゆきちゃんは首を振った。
 そりゃよかった、と呟いて、手を繋いだままブランコの支柱にもたれかかる。
「ヒロくんは、わたしでいいの? わたしみたいな駄目人間で」
 下を向いたままのゆきちゃんの台詞に、思わず噴き出してしまう。肩を震わせて笑っていると、「こっちは真剣なんだから!」とゆきちゃんに怒鳴られてしまった。けれど、それでも笑いが止まることはない。
「ゆきちゃん、何か勘違いしてるみたいだけど」
 もたれていた支柱から離れて、もう一度ゆきちゃんの目の前へ。膝を曲げて中腰になり、ゆきちゃんの顔をやや下から見上げる。
 互いの息遣いが聞こえるくらいの距離。睫毛の一本一本さえ数えられそう。
 そんな密着した距離から、俺は言った。
「ゆきちゃんでいいんじゃなくてさ。ゆきちゃんがいいの、俺は」
 だって、俺はゆきちゃんのこと大好きなんだから。
 ゆきちゃんがゆっくりと顔を持ち上げる。目と目が合う。鼻先が触れ合いそうな程近くに、ゆきちゃんの顔がある。
「つーことは、だ。さっきのはオーケーってことでいいんだよね?」
 ゆきちゃんは少し戸惑っていたような素振りを見せたけど、ゆっくりと――けれどはっきりと、俺の言葉に頷いた。

 胸の奥にじんわりと温かな気持ちが広がっていく。
 たまらなく愛おしくなって、俺はゆきちゃんの頭を胸に抱え込んだ。
 我ながら、ほんと現金なものだと思う。告白にオーケーしてもらった途端、こんな行動に出るなんて。けど、これくらい多めに見て欲しい。
 ――だって。

 

 今日から俺とゆきちゃんは、お隣さん同士で生徒と教師で。そして、恋人同士、なんだから。

06.12.25up

 


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